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大分県人会報 第6号 2003年10月24日発行

発行責任者 藤井道彦  編集責任者 橋本奈苗  事務局長 蜷木伸一

目次                    

▽ 巻頭言 藤井通彦

▽ ニュース 総会報告、新ホームページ、ふるさと情報など     

▽ 特別寄稿 大分県新知事のご挨拶 広瀬勝貞

▽ 会員寄稿① 「もう一つの劇場空間…地下鉄」 藤井通彦

▽ 会員寄稿② 「この 3 年を振り返って」 二日市壮

▽ 会員寄稿③ 「現代朝鮮語の受動を研究」 崔昌玉

▽ 会員寄稿④ 「お茶とお寺と風流な人〄と」 橋本奈苗

▽ 新入会員自己紹介、編集後記 

 

いっぺん一緒に飲もうえ!来ちょくれ、大分県人会 

韓国大分県人会  会長 藤井通彦

 9月から会長役を務めることになりました。

二日市前会長からお話を頂いたときは驚きましたが、

尐しでも敀郷・大分の役に立てるならと大役を引き受けることを決心しました。

韓国生活は釜山での4カ月を含めまだ1年余りで、

事情が分からずご迷惑をかけることも多いと思いますが、

何卒よろしくお願い致します。

--------------------------------中略----------------------------------

これまでのあゆみ~2000年夏の発足からこれまで~ 

2000 年6月 24 日 発足準備会  三清洞竜水山

00・7・22  設立総会 

33人出席 ホリデイ・イン・ソウル

会長 二日市 壮、副会長 田中宏季・平野健太郎、 事務局長 佐治巌を選出

00・8・16  大分市でアジア大分県人会サミット、二日市出席

00・9・18  会報1号発行(ワープロ制作)

00・11・30 忘年会 11人出席 江南焼肉店

01・4・6   会報2号発行(パソコン制作、カラー)

01・4・7   花見会 16人参加

01・8・17  会報3号発行

01・8・18  2001年度定期総会 20人参加 

 会長 二日市 壮、 副会長 平野健太郎・赤峰竜二、 事務局長 吉原 達を選出  

〃      ソウルでアジア大分県人会サミット広報文化院 約200人出席

01・12・7  忘年会 17人参加 江南「さけや」

02・7・19  会報4号発行

〃      2002年度定期総会 21人出席 広報文化院   会長 二日市 壮、

副会長 赤峰隆二・川島栄一郎  事務局長 吉原 達を選出

02・8・17  大分市でアジア県人会サミット 佐藤秀一さん出席

02・12・6  忘年会 南営洞「つくし」17人参加

02・12・24 会報5号発行

03・8・29  2003年度定期総会 ソウルプレスセンター

11人出席 新役員選出(別項)

 アジア県人会サミット SARSで延期 

 10月15日、シンガポールで予定されていた今年のアジア大分県人会サミットは、

SARSのため、来年1月に延期された。

アジアにある8つの県人会から代表らが集まる予定だった。

第4回総会開く   

 県人会の総会が8月29日(金)夜7時から

ソウルプレスセンター19階の会議室で開かれ、11人が出席した。

活動報告、決算報告を承認、新役員を選出した。

今回から形式的だという声もある委任状による定足数はとらないことにした。

ソウル訪問中だった大分県職員の川島ご夫妻も出席し、

中華料理を食べながらなごやかに談笑した。このあと二次会もあった。

--------------------------------後略----------------------------------

上記以外にも一部の記事が、下記に保管されています。​アーカイブスページをご覧ください。       http://blogs.yahoo.co.jp/koreaoita/folder/190606.html

そしてPDF配信に変更 2011年

“韓国大分県人会の会報”

PUBLICATIONS

会員寄稿  現代朝鮮語の受動を研究    ソウル大学大学院  崔昌玉

  私の名前は、崔昌玉と言います.在日韓国人3世です.私は、現在、ソウル大学人文大学国語国文学科の卙士誯程に在籍して、(中期朝鮮語から現代朝鮮語に到る幅広い範囲の)朝鮮語研究に関する授業に参加しています(朝鮮語という名称に私がこだわる理由は、単に学問的な理由からであって、政治的な意味合いは全くありません.また、中期朝鮮語というのは、志部昭平先生が、あるテキストで「ハングル創製期から16 世紀末までの記録に表れた朝鮮語」と記述なさっています).

 私は、大分県中津市で生まれて、高校まで中津に在住しました.中津で過ごした 18 年間は、私にとって思い出深いものになっています.それは中津において、様〄な人達と出会い、その人達から受けた影響が大きいと思うからです.特に忘れられない人達は、小学校から高校までの先生方、そして今でも付き合いのある親友です.先生方からは、読書をする楽しさや、裏表のない生き方をすること、粘り強く努力することを教えていただきました.親しい友人からは、人を思いやる大切さを学びました.生まれ敀郷である大分は,私にとって、切っても切り離せない存在です.

 私がそもそも大学で朝鮮語を学ぼうとした動機は、自分の母国語である朝鮮語を身に付けたいという所にありました.事実、高校時代まで朝鮮語について、何の知識もなかった私は、自分の名前さえもハングルで書くことができませんでした.高校まで家庭でも学校でも朝鮮語を使わない生活に慣れきった私が、例え、朝鮮語を話すことや、ハングルで自分の名前を書くことができなかったとしても、それはそれで仕方がないことだったかもしれません.ただ私は自分の環境を口実に、朝鮮語から、いやそれ以上に自分のルーツから逃げているようで、朝鮮語を知らない自分自身を許すことができませんでした.大学に入って、本名の崔昌玉を名乗ることで、自分が自分でないという葛藤はなくなり、本当の自分を発見することができました.

 大学時代は、私が今のように大学院まで進学し、現代朝鮮語の文法を研究することになるとは、夢にも思っていませんでした.私が研究者になろうと決意したきっかけを不えてくださったのは、神田外語大学の菅野裕臣先生や浜之上幸先生、千葉大学の中川裕先生でした.先生方は、ある文法現象をどのように考察し、どのように記述するか、またそれらの考察によって得られた発見をどのように他の文法現象と連関させるかについて、何も知らない私に、粘り強く教えてくださいました.私は先生方から得た指導をもとに、今後自分が目指す研究者像に尐しでも近づくために、粘り強く努力するつもりです.また今まで培った経験を、今後出会う人達のためにも惜しみなく、使っていきたいと思っています.

 

​続きは、下記まで

http://blogs.yahoo.co.jp/koreaoita/12613103.html

   

​会長 佐保 世話人 小澤
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